僕には夢がありました!~トレーナー山本ができたわけ(2)

いつもお世話になっております。

 

 

南相馬市を中心に活動しております、

 

 

studio firmusの山本です。

 

 

◎ひとつ前のお話はこちらからお読みください◎トレーナー山本ができたわけ(1)

 

 

実は高校生の僕にはがありました。

 

 

いえ、本当のことを言うと高校生よりももっと前、小学生ぐらいからかな・・

 

 

仕事仲間にも、仲のいい友達にも、もちろん家族にもほとんど言ったことはありませんでしたが

 

 

本当はサッカー選手になりたかったんです!!

 

当時のチームメイトが聞いたら驚くと思います。

 

 

『まさかお前が!!』って(笑)

 

 

結果を残してるわけでもないですし、めちゃくちゃうまいわけでもなかったので・・

 

 

だから恥ずかしさもあって口にしたことは全くありませんでした。

 

 

もちろん自分なりに努力はしました。

 

 

でも今思えば、才能はもちろんなく、努力の量も質も方向性も何から何まで違ったんだと思います。

 

 

そして、ある時に現実を認めたんですよね。

 

 

『自分はサッカー選手にはなれない』

 

 

認めたといいつつも、夢を諦めきれない自分もたくさんいて、

 

 

『選手としては無理でもスポーツ業界と関わっていきたい』と漠然と考えていたんです。

 

 

それが高校三年生の夏の終わりです。

 

そんな時に、チームメイトや周りの友達は受験モード一色だったので、

 

 

自分も何となく学校の進路指導室に行きました。

 

 

そこで見つけたんです。『スポーツトレーナー』についてを勉強する学校案内のパンフレットを!

 

 

中身を見てすぐに惹かれました。

 

 

・スポーツ生理学

 

 

・トレーニング理論

 

 

・解剖学

 

 

・ストレングス&コンディショニングの理論と実際

 

 

などなど・・自分が全く触れたことのない知識についてのカリキュラムがいっぱい!

 

 

その時の僕は『これだ!』と思ったんですよね。

 

 

もしかしたら、ここからまだ自分のパフォーマンスも上げることもできるかもしれない、と(笑)

 

 

なにより、アスリートとしては無理かもしれないけど、最悪スポーツ業界には関われるんじゃなかろうか、と(汗)

 

 

もっと言うならば、スポーツ業界にしがみついてやろう、と必死でした。

 

当時の僕は『スポーツトレーナー』という職業があることさえ知らず、

 

 

もちろんそういった方々と関わったこともない状態でした。

 

 

だから、トレーナーとして誰かを支えてあげたい、という意識よりも、

 

 

その知識やスキルで自分自身の能力を高めたい、ということが一番だったような気がします。

 

 

そんなスポーツ業界への未練と憧れだけで、そのスポーツトレーナーの養成機関へ進路を決めたのが

 

 

その後『スポーツトレーナー』という職業と関わる最初のきっかけでした。

 

 

でもこの時の気持ちのままであったら、今『スポーツトレーナー』という仕事をしていないと思います。

 

 

なぜならスポーツトレーナーは、縁の下の力持ち!

 

 

決して自分が表舞台に立つための仕事ではないからです。

 

 

でもあの日、進路指導室に行かなかったら、この道を選択することはなかったでしょうね。

 

 

そう思うと、人生意味がないことってないのかもしれないと思わされますね^^

 

 

今回はここまでにしておきます。

 

 

また次回、お読みいただけたら嬉しいです。

 

 

◎1つあとののブログはこちらからお読みください◎トレーナー山本ができたわけ(3)

 

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